

<PROFILE>
串間保(くしまたもつ)、宮崎県出身。 18 歳で上京。大学卒業と同時に本格的に俳優業開始。以来、テレビ・舞台を中心に活動。特に 95 年に、フジテレビの朝の番組「どう〜なってるの!?」に出演して以来、現在の「わかってちょーだい!」に至るまで 13 年間継続して出演中、人気を得ている。また 07 年秋には、舞台「孫文と梅屋庄吉」中国ツアーに参加する。
――海外での経験
初めて海外を訪れたのは13歳・中2の夏、場所はアメリカ・カリフォルニアで一人ホームステイでした。
以来、公私に渡って海外を訪れて、その土地土地の人たちと交流して楽しんでいます。
俳優としては、94年にロンドンの王立演劇学校のシェークスピア・ワークショップに参加したり、04年に舞台「KAZUKI」NY,LAなどでのツアーに出演したりしてきました。
――日本語でも大丈夫!
94年のロンドンでのワークショップは、短期間でしたが、有意義でした。
クラスは、演技をはじめムーブメント、ヴォイス、フェンシング、ダンスなどの実践的なものから、作品が出来た当時の歴史的背景を学ぶクラスや、クイーンズイングリッシュの発音のクラスなんかもあり、自分以外、英語圏の国々からやってきたメンバーの中で奮闘していました。
確かフェンシングのクラスで、剣を操りながらセリフをしゃべるエクササイズをしていた時のこと。
どうしても英語のセリフに気持ちが乗らなかったので、悩んでいると、担当の先生が「日本語で言ってみろ」とアドバイスをして下さり、宮崎弁でセリフを吐いてみる。
すると「それだよ!」と、宮崎弁がわかるはずもない彼がサムアップして喜んでくれました。
英語圏で俳優として活動するわけですから「英語でしゃべれる」ことは勿論大事ですが、「自分の感情が表せる言葉でしゃべる」ということが、セリフを吐くとき、そして日常で相手とコミュニケーションをとるときには大事なんだ、ということを身を持って体験した瞬間でした。
実際この経験は、05年に日韓合作の舞台で、韓国の俳優さんのなかに一人混じって朝鮮人役としてハングルで演じた際、稽古初期にハングルで彼らがしゃべる中、ひとり宮崎弁でダイアログを交わして、生まれて初めてのハングルでの演技を勤め上げるうえで、役に立ちました。
――日本文化の重要性
ロンドンに行ったきっかけは、その学校の校長と日本で知り合いになり、「来てみないか」、と誘われたことです。
当時25歳、元々海外志向が強かったので、この勢いで海外で活動しようと考えていました。
滞在中、様々な舞台や映画など観ました。その中で最も感銘を受けたのが、実は日本から来たカンパニーのステージでした。
『俊寛』という作品を、能(前半)・文楽(中盤)・歌舞伎(後半)の3部構成にして、一作品で3つの日本の伝統芸能をヨーロッパの人々や現地に住む日本人に楽しんでもらうという、ヨーロッパツアーの千秋楽。 それまで日本の伝統芸能や独自の文化を観たり聞いたりしたことが、正直ほとんどありませんでした。しかもそんな素晴らしいステージがあることを教えてくれたのが、イギリス人である演劇学校の校長でした。
ショックであり、恥ずかしかったですねえ。自分が生まれ育った国の基礎教養を知らずに、世界へ飛び出そうとしていた訳ですから。
そこで、海外進出をやめ、帰国。以来これまで、日本の伝統・文化・芸能に触れながら、実際に合気道や茶道などのお稽古にも取り組んだりして、見聞を広めてきました。
その経験を生かし、色々な場面や役柄に応用させながら、作品創りに取り組んでいます。特に武道をやったおかげで、相手(役)との距離感を自然に図れるようになったことは、大きな収穫です。
それより俳優云々以前に、日本人として日本の文化を知っていると、異文化の人たちとコミュニケーションをとるときに、本当に助かりますよ。
――俳優になろうと思ったきっかけ
大学1年で入ったサークルに、4年生で、ちょうどハリウッド映画に出演していた別所哲也氏がいらっしゃいました。
彼に誘われて、彼が出演していたお芝居を観劇したとき、「楽しそうだなあ、やってみたいなあ」と思ったのが、今にして思えばきっかけです。
そして大学卒業時に、コント赤信号の渡辺正行氏にスカウトしていただいて、この世界に入りました。
全く違うジャンルの御二方ですが、彼ら先達と出会ったことがきっかけであり、自分の原点であるような気がします。
――ハリウッド、海外を目指すわけ
ここ数年、舞台で海外ツアーに参加する機会があり、現地のお客様はじめ、一緒に仕事をする現地スタッフの方々からも、沢山の叱咤激励や感謝の言葉を直接いただきます。
例えばNYでは、公演した劇場で客席係をしながら芝居を観てくれたヒスパニック系の若い男性、LAでは、日系2世でわざわざ4時間かけて観劇にいらしたご家族、etc・・・。彼らの想いのこもった言葉を生でぶつけられて、俳優という仕事をさせていただいていることの、素晴らしさ・誇りを痛感したとき、もっともっと世界に出て挑戦しなきゃと思います。
そしてハリウッド。やはり中2の夏に、4ドル払ってホストファミリーと映画館で観た『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』。生まれて初めてのハリウッド映画は、凄く楽しかったし、あの興奮が今でも忘れられません。
しかも、この世界に入ったばかりのころは、『インディー・ジョーンズ』みたいな映画を創りたい、と思っていたのですが、これまで特に舞台が楽しくて、映画をやらせていただく機会がほとんどありませんでした。
そのときの想いが未だに残っているので、そろそろ映画、「やるならハリウッド」なのだと思っています。
――俳優を目指す後輩に向けてメッセージ
演技は、やり続ければ個人差はあれ、上手くなります。
あとは自分が魅力的であればいいわけです。そうすれば、プロデューサーや監督がきっと声をかけて下さいます。
魅力的な自分を維持できるよう、独自の方法を発見して、一日一日を大事に過ごして、積み重ねていってください。
そして、日本で、ハリウッドで、世界で一緒にお仕事しましょう。
私もそうなります。ガンバリマス!!
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